心

幸せに生きるために人間はみな神性、仏性を心の奥底に持っている

神仏はどこにいると思いますか?

神社?

お寺?

風水では自分の中にいると考えます。

「どうせ私なんか」

卑下するのは自分の中の神仏を否定することになります

幸せに生きるには、物事をありのままに見てその本質を理解する能力 = 知恵が必要です。

神棚や仏壇があると、形は心を生み心は形を作り自分の中の神性、仏性につながれるようになります。

Table of Contents

神社仏閣は宗教施設で、由緒ある観光地を意味する場面が増えています。

神社は神道の施設で仏閣は仏教の施設です。

神社はそのままで、仏閣はお寺の建物・寺院を意味します。

「神社仏閣」という言葉

神社仏閣は「神社や寺院の社殿や堂塔」のことを指します。

より簡単に言うと「神社やお寺の建物」のことです。

神社とお寺は宗教が異なりますが、どちらも日本の代表的な宗教施設です。

「宗教施設」をまとめて呼ぶときに、古くから「神社仏閣」という言葉が使われてきました。

室町時代(14世紀後半)に成立した『太平記』に神社仏閣が使われています。

少なくとも室町時代には「神社仏閣」という言葉が存在していたことがわかります。

神社仏閣の歴史

日本の神社仏閣の歴史は、最初は神社(神道)の方からスタートしています。

神道は古墳時代には既に存在し、仏教が日本に伝来したのは飛鳥時代です。

皇室が仏教を許容し、やがて当時の僧侶などの方々が、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説を説いたことで、庶民にも仏教が受け入れられるようになったと言われています。

本地垂迹説は「神も仏も本来同じものである」という考え方です。

日本では古くから神道と仏教が両方信仰される「神仏混合・神仏習合」の状態が広まりました。

全国の神社仏閣の数

2022年度宗教統計調査で、全国の神社仏閣の数は157,546軒です(2023年6月29日時点)。

内訳は、神社が80,847軒、寺院が76,699軒となっています。

厄落とし・厄払い・厄除け

厄落としは元々は普段から身に付けているものや大切にしているものを故意に落とすことを意味していましたが、厄年の厄を払う・除けるなどの行事をまとめて呼ぶ時に厄落としが用いられます。

厄払いは、自分の邪気や穢れを払うために神社で祈願祈祷を受けることです。

厄除けは、邪気や災厄を予防するためにお寺で祈願祈祷を受けることです。

初詣

初詣は年(新暦)が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事です。

一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりします。

縁日

縁日は、神社仏閣で祭神や本尊に縁のある特定の日に祭典や供養が行われます。

縁日は、神仏の降誕、降臨、示現、誓願などの縁(ゆかり)のある日、有縁(うえん)の日です。

縁日には祭祀や供養が行われ、この日に参詣すると普段以上のご利益があると信じられていました。

特に、年の最初(または月の最初)の縁日を初(はつ)○○(初天神、初観音、初不動など。干支を縁日とする場合は初午、初巳など)と称し、年の最後の縁日を納め(おさめ)の○○または終い(しまい)○○と称されています。

境内の外に露天が並び、お参りの人々で賑わいます。

伊勢山皇大神宮の鳥居

神社は日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設です。

神社の鳥居は神様の住む世界と人間の世界を分ける門です。

参拝の順序

参道は中央を避けて進みます。

鳥居の前で一礼、手水、賽銭箱の前で会釈、二拍手、二礼、賽銭を入れ一礼、合掌して祈願、鳥居を出る際に本殿に向かって一礼

冬の神社参拝はカイロを持参する

神社参拝では手水で手を清めて柏手を打ちます。

冬の神社参拝は、手水で手を清めて柏手を打つまでの間に手がかじかんでしまいます。

カイロを持参しておくと重宝します。

大祓(おおはらえ)

今宮戎神社 夏越大祓式

大祓は日本の神社の年中行事の1つです。

祓は浄化の儀式として宮中や神社で日常的に行われていますが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓と言います。

毎年6月と12月の晦日に行われるものを恒例としますが、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曾有の疫病の流行、斎宮斎院のト定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあります。

6世紀の初めに仏教が伝来し、6世紀後半に丁未の乱で仏教推進派の蘇我馬子が神道推進の物部守屋を破り、仏教による国づくりがなされています。

天照大神、大国主命はそれぞれ皇居を出て、吉相の地を探して各地を巡りました。

天照大神は倭姫とともに猿田彦大神の勧めた五十鈴川の川上(今の伊勢神宮)に鎮まりました。

大国主命は奈良から丹波の国を経て日本海沿いを西に、島根県の出雲(出雲大社)に鎮まりました。

国家の権力争いに関係なく、吉相の地で太陽の動き、季節の風水、方位を守り、現代まで連綿と続いています。

伊勢神宮祈年祭

祈年祭は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りで「としごいのまつり」とも呼ばれます。

「とし」は稲の美称で、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。

農耕が生活の中心であった時代、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繫栄を祈ることに他なりませんでした。

そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、平安時代の『延喜神名式(えんぎじんみょうしき)』によると、神宮を始め全国2,861社の神々に幣帛(へいはく)が奉られていました。

特に神宮には天皇の勅使を差遣されてお祭りが行われており、朝廷の崇敬のほどが窺われます。

祈年祭は毎年2月17日に行われる宮中祭祀の小祭で、その年の五穀豊穣などを祈る神道の祭祀です。

伊勢神宮神嘗祭(かんなめさい)

神嘗祭は宮中祭祀の一つで大祭です。

宮中および神宮で祭祀が行われます。

神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神に捧げて、お恵みに感謝するお祭りです。

10月15日の輿玉神祭(おきたまのかみさい)から始まり、10月16日22:00に皇大神宮で由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)、10月17日2:00に由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)が行われます。

由貴大御饌(ゆきのおおみけ)は清浄で立派な食事です。

海川山野のお供え物を取り揃え、神田で収穫された新米を玄米のまま蒸して土器に盛り、御餅をつき、白酒黒酒(しろきくろき)のお酒を醸してお供えします。

10月17日の夕刻、御祭神を和めるために御神楽が行われます。

伊勢神宮のご祈祷 御饌(みけ)・御神楽(みかぐら)

御饌と御神楽の違い

御饌はお祓い後、神前に神饌(しんせん)をお供えし、祝詞(のりと)の奏上(そうじょう)でお願いごとを神様にお届けします。

御饌に加えて、雅楽の調べとともに雅な舞を奉納するご祈祷が御神楽です。

所要時間は御饌が約15分、御神楽が約25~40分です。

ご祈祷の種類と初穂料

御饌:5,000円以上、大御饌:8,000円以上、別大御饌:10,000円以上

御神楽(倭舞):15,000円以上、大々神楽(倭舞・人長舞):50,000円以上、別大々神楽(倭舞・人長舞・舞楽1曲):100,000円以上、特別大々神楽(倭舞・人長舞・舞楽2曲):500,000円以上

氏神様は、日本において、同じ地域に住む人々が共同で祀る神道の神様です。

氏神様は基本的には自宅の近くにあり、最もお参りしやすい神社です。

五龍神結界

五龍神結界

大阪市の金塚・山王・飛田地域には天龍大神、金龍大神、銀龍大神、白龍大明神、黒龍大神の氏神様の五龍神結界があります。

大阪市の金塚・山王・飛田地域は、良水のわく井戸や水脈が多くあり、明治から昭和初期に祀り金塚、山王、飛田の五龍神と呼ばれていました

五龍神結界の碑

五龍神信仰の象徴として五龍神結界の碑が祀られています。

黒龍大神、天龍大神、白龍大明神の3つの祠

氏神様

明治末頃まで大阪市の金塚・山王・飛田地域に大きな池があり、大蛇が住み着いて住民から池の主と崇められ、池の周りに黒龍大神天龍大神、白龍大明神の3つの祠を建て、その信仰のお陰で戦災を逃れました

黒龍大神

氏神様黒龍

黒龍大神の月例祭

毎月18日に月例祭が行なわれ地域の安寧が祈られています。

天龍大神

氏神様天龍

天龍大神の月例祭

毎月18日18:30に月次祭が行なわれています。

天龍大神の春季大祭

4月22日~4月23日に春季大祭が行われています。

白龍大明神

氏神様白龍

天満宮は菅原道真を祭神とする神社です。

「天神さま」と呼ばれます。

天神縁日

毎月25日は「天神さま」の縁日です。

道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日です。

終(しま)い天神・納め天神

12月は一年で最後の縁日のため「終い天神」とか「納め天神」と呼ばれ、全国各地の菅原道真を祀る神社では様々な行事が行われます。

菅原道真を神様として天満に祀る由来

道真が亡くなった直後、平安京で雷、大火、疫病などの天変地異が相次ぎ道真左遷に関わったとされる者達が相次いで亡くなったことから、道真の怨霊が雷神となり天に満ちていると考えられました。

天満の名は道真が死後に贈られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」が由来と言われ、道真が優れた学者であったことから学問の神様へ変化していき、多くの受験生が合格祈願に詣でるようになりました。

天神様

天神様は日本における天神(雷神)に対する信仰で、菅原道真を天神様として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことです。

道真が没後すぐに、天満大自在天神という神格で祀られ、続いて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神と呼ばれるようになりました。

本来、天神とは国津神に対する天津神のことで、特定の神の名ではありませんでした。

天神信仰は、学問や正義、農業の神など、人々に親しまれていくようになっていきました。

道真は卓越した才能や真面目な人柄から多くの人に尊敬され、亡くなった後に天に住む神様として崇められるようになりました。

天神様は学問の神様として知られ、天満宮などで祀られています。

愛知県三河地方では、天神様の人形を男の子の出産祝いや節分の飾りとして用いる風習があります。

日本三大天神

天満宮は一般的に太宰府天満宮と北野天満宮の両社が総本社とされるため、この2社が入ります。

3社目は日本最古(扶桑菅廟最初)を称する防府天満宮が上げられることが多いです。

太宰府(だざいふ)天満宮

福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社です。

太宰府天満宮拝殿の右手前に飛梅があります。

太宰府天満宮の梅林とクスノキの森は、かおり風景100選に選ばれています。

本殿は五間社流造で屋根は檜皮葺、正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)が設けられています。

左右側面には各1間で唐破風造の車寄を付け、回廊が前方の楼門まで廻らされています。

太宰府天満宮での御神酒は梅酒で、太宰府駅から続く表参道には土産や名物の梅ヶ枝餅の店が軒を連ねます。

天神様と梅

太宰府天満宮の本殿向かって右手に御神木「飛梅」があります。

飛梅は極早咲きの「色玉垣」という品種です。

毎年境内の梅に先駆けて花を咲かせて春の訪れを告げます。

道真公の命日にあたる2月25日に「梅花祭」が行われます。

神職は冠に梅の花を挿し、花玉串が供えられます。

巫女は「飛梅の舞」を奏上して、御神霊が慰(なぐさ)められます。

唯一無二の梅花紋

全国の天満宮でも梅の花をモチーフにした太鼓のばちと梅の花を組み合わせた「梅鉢紋(うめばちもん)」ですが、太宰府天満宮は「梅花紋」です。

北野天満宮

北野天満宮は、菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2千社の天満宮、天神社の総本社です。

天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「北野の天神さん」「北野さん」と呼ばれています。

境内のご案内

千有余年の歴史と伝統を誇る境内神域には、国宝御社殿をはじめ数多くの文化財があり、春の梅苑、秋のもみじ苑など四季折々の京都の美しさが見られます。

祭典・行事

当宮は年間を通じて、菅公ゆかりの神事を古式ゆかしく斎行しています。

また天神信仰発祥の神社として、様々な伝統芸能や時代に則した文化行事を行っています。

参拝・御祈禱

御祈禱とは、神職が皆さまと神さまとの仲を取りもち、皆さまの願いを神さまに祈り捧げる儀式です。

大阪天満宮

大将軍社は大阪天満宮の鎮座よりも約300年遡った白雉元年(650年)に創建されました。

孝徳天皇が難波長柄豊崎宮をお造りになり、都の北西を守る神として大将軍社が祀られました。

現在では、大阪天満宮の摂社として境内の北西に鎮座しています。

大阪天満宮では元旦の歳旦祭の前に、大将軍社にて拂暁祭(ふつぎょうさい)というお祭りを行い、神事の中で「租(そ)」と言う借地料をお納めする習わしになっています。

天神祭(てんじんまつり)

大阪天満宮の天神祭は日本三大祭りの1つ(他は京都の祇園祭、東京の神田祭)です。

天満宮御鎮座の翌々年、天暦5年(951年)に社頭の浜から神鉾を流し、流れ着いた浜に斎場を設け、禊祓い(みそぎはらい)を行い、その折、神領民が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされています。

天神祭の期間は6月下旬吉日~7月25日の約1か月間に諸行事が行われます。

7月24日宵宮:宵宮祭(よいみやさい)、鉾流(ほこながし)神事、獅子舞氏地巡行

天神祭の始まる7月24日の7:45より本殿にて宵宮祭が斎行されます。

8時半すぎ、素木の神鉾を捧げた神童や奉人、約200人の行列が大阪天満宮の表門を出発し、旧若松町浜の斎場に向かいます。

8:50頃、夏越祓いの神事後、斎船で堂島川の中ほどに漕ぎだし、菅公御歌の神楽歌「鉾流歌」の調べが奏される中、船上から神童が神鉾を流し、御神意を伺うとともに神職は祓物を河中に流して氏子市民の無病息災と市中平穏が祈願されます。

この鉾流神事の大役を務めるのは、この地区の西天満小学校の生徒から選定される慣例で、天神祭の幕開けとなる厳かな神事の中心的役割を果たします。

7月25日本宮:本宮祭、神霊移御、陸渡御(りくとぎょ)、船渡御(ふなとぎょ)、奉納花火

25日の本宮の夜は、大川に多くの船が行き交う船渡御が行われ、奉納花火が上がります。

湯島天満宮

文具至宝碑は、東京都文京区にある湯島天神の名でも崇拝を集める湯島天満宮の境内に佇んでいます。

東京メトロ千代田線の湯島駅から徒歩2分程で辿り着くことができます。

撫で牛

菅原道真は生まれも没年も丑年で、牛がゆかりの深い動物とされ「撫で牛」があります。

頭を良くしたい人は頭を、足を良くしたい人は足を撫でるとご利益が授かると言われています。

文具至宝碑

本殿を正面に向いて右手へ逸れると男坂があり、男坂の上がり口に文具至宝碑があります。

古代中国より海を渡って伝播した文房四方(筆、墨、硯、紙)は、読み書きをはじめとする日本の教育に大きな影響を与え、文化や学術向上に寄与してきました。

功績を讃えて「文具至宝碑」が建立されました。

人気の授与品

湯島天満宮で人気の授与品は1ダース700円の学業成就の鉛筆です。

鉛筆の形が六角形ではなく四角形なのは「5を欠く=合格」という縁起担ぎからです。

天神ノ森天満宮

天神ノ森天満宮は大阪市西成区にある神社で、菅原道真を祀っています。

学問の神様である菅原道真を讃えていて「天神ノ森」と呼ばれています。

紹鷗森天満宮や子安石天満宮とも呼ばれています。

京都の北野天満宮から分霊を受けていて、大阪天満宮ではないことが特筆されます。

異空間のような雰囲気を持ち、少し癒される場所として知られています。

天神ノ森天満宮は、阪堺電車 阪堺線 天神ノ森駅の西側すぐの場所にあります。

天神ノ森天満宮 学業成就御守 初穂料500円

※お守りを授与される時に、成就した時のお守りの返却意思を確認されます。

※御朱印は授与されていません

※境内写真撮影禁止です。

所在地:大阪府大阪市西成区岸里東2 – 3 – 19

電話番号:06 – 6651 – 5330

最寄り駅:阪堺電車 阪堺線 天神ノ森駅

高田天神社

奈良県大和高田市三和町2-15

主祭神:高皇産霊神、神皇産霊神、津速産霊神

現存する本殿の最古の棟札は1222年(貞応元年)のものです。

境内社

天神社:本社、恵比須社:えびす、當麻社:高田城城主であった当麻参河守藤原為政、弁天社:市杵島姫命、稲荷社:倉稲魂命・猿田彦神・大宮比売神、明神社:天照皇大神、天満宮:菅原道真

催し物・祭り

1月10日:天神社初えびす、4月17日:おんだ祭、7月21日:天神社夏祭り、10月:天神社秋祭り、天神社お渡り

京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が総本宮です。

鳥居

朱塗りは社殿や鳥居で広く使われて、稲荷神社を象徴するものになっています。

ほとんどの稲荷神社では社頭などに守護獣として狐形の像が置かれています。

狐形の像は座っていて尻尾が立ち上がって、雌雄一対になっています。

初午(はつうま)

初午は稲荷社の祭りの日です。

初午は2月の最初の午の日です。

稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が初午です。

初午はその年の豊作祈願が原型で稲荷信仰が結びついたものです。

「初午いなり」といい、稲荷寿司を供える風習もあります。

晴明神社は、平安時代中期の天文学者・安倍晴明公をお祀りした神社です。

所在地:京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)

安倍晴明公(920~1005年)

安倍晴明公は孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、幼い頃から非常に多くの道に秀でておられました。

天文暦学の道を深く極められ、式神を思いのままに操る霊術をも身に付けておられたと伝えられています。

天文陰陽博士として、天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てたと言われています。

朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられたと伝えられています。

晴明神社の由来

創建は寛弘4(1007)年です。

晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、御霊を鎮めるために晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。

境内洞窟にある清水で硬貨などを洗うと増えると伝えられていることから、銭洗弁天(ぜにあらいべんてん)の名で知られています。

湧き出る清水は銭洗水(ぜにあらいみず)と呼ばれ、鎌倉五名水に数えられています。

銭洗い用のざるが用意されていて、硬貨や紙幣を入れて柄杓(ひしゃく)で清水をかけて清めます(銭洗)

社殿・境内

四方を急峻な崖で囲まれていて、入口は隧道になっています。

上之水神社、下之水神社、七福神社の3社の境内社があります。

由来

文治元年(1185年)、源頼朝への宇賀神の夢のお告げを元に、宇賀神を祀り神仏の供養を行ったのが創建の由来です。

源頼朝は、巳年である文治元年(1185年)の巳の月(旧暦4月)巳の日、巳の刻に夢を見ます。

宇賀神から「この地に湧き出す水で神仏を供養すれば、天下泰平の世が訪れる」とお告げを受けます。

源頼朝は佐助ヶ谷の岸壁に湧く霊水を見つけ、洞窟に社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられています。

巳年の正嘉元年(1257年)に5代執権北条時頼が、佐助ヶ谷の岸壁に湧く霊水で銭を洗って一族の繫栄を祈願したのが銭洗の始まりだと言われています。

祭神

本宮:市杵島姫命

奥宮(本宮の横の洞窟):宇賀神(弁財天)

宇賀神と弁財天が神仏習合して弁財天と呼ばれ、相馬天王(扇ヶ谷)の末社でした。

明治時代の神仏分離により、相馬天王は八坂大神と改称、1970年(昭和45年)には末社から独立しました。

参拝方法

銭洗弁財天宇賀福神社の入り口は岸壁に大きな口が開いた洞窟です。

洞窟を抜けると鳥居群があります。

鳥居群を抜けて、社務所で線香とロウソクを購入して、その際に銭洗用のザルを一緒に借ります

本宮を参拝し、脇の燭台にロウソクを献灯して線香をつけます。

線香を香炉に献香します。

本宮のお参りが終わると奥宮に入り、ザルでお金を洗います。

お札を洗った場合は自然に乾かします。

祭事・年中行事

縁日:巳日

例大祭:4月初巳日、9月白露巳日

銭洗弁財天:1月初巳日

交通・アクセス

所在地:神奈川県鎌倉市佐助2 – 25 – 16

最寄り駅:鎌倉駅西口から徒歩で20分。路線バスの場合は「源氏山入口」バス停から徒歩9分。

神社参拝時に祈願書を持参する

祈願書は、叶えたいこと、達成したいことなどを紙に書いたものです。

祈願書は神社におさめるためのものではありませんが、祈願は自身の決意表明です。

祈願書を書くことで夢が現実味を帯びます。

祈願書に書く内容

祈願書

いつも御神助、ご加護をいただきありがとうございます。(感謝の気持ち

夢を箇条書きにします。

以上、全力を尽くして頑張りますので、よろしくお願い申し上げます。(決意表明

以上、祈願いたします。

祈願書の作成時期

毎年11月24日までに作成し、初詣よりも一足早く神様にお願いします。

祈願書の更新

1年以上経った祈願書は、処分の必要はなく、ずっと保管しておいて構いません。

年度が変わったり、祈願内容を変更したりで、前の祈願書を処分したい場合は、願いが叶ってから、または願いほどきをしてから処分します。

神棚は神道のお札を納めて神様を祀る棚です。

自宅や会社などに簡易的に設けた小さな神社という位置付けのもので、神社にお参りに行けない場合でも日常的に神様を拝することができます。

家内安全、子孫繫栄、無病息災などを願い、お守りくださる神様へ「感謝」を伝えます

お札(おふだ)

神棚には、伊勢神宮のお札、氏神様のお札、崇敬神社のお札などを祀ります。

お札の表面には神社名や祭神名が書かれています。

神棚、台所(荒神など)、玄関(大歳神、門守りなど)、鬼門(災厄除け、方位除け)などに置きます。

初穂料

対価を支払うことを「初穂料を納める」と言います。

古くは支配豪族が先導して開発した田畑で最初に収穫した稲穂を領民に下賜する時に、その費用対価として徴収したことに由来します。

神棚の祀り方

西~北側を背に設置

神棚は家の中心、または西側、北西側、北側に設け、東か南に向けます。

中央か一番手前が最上位

神棚の中央には「宮型(みやがた)」と呼ばれる神殿を据え、扉の正面に鏡、左右に榊を立てます。

神札を横に並べて祀る三社造り

中央に伊勢神宮の神札(天照皇大神宮)、向かって右に地元の氏神様の神札、左に崇敬する神社の神札を並べます。

1つに重ねる一社造り

一番手前に伊勢神宮の神札(天照皇大神宮)、その後ろに氏神様、さらにその後ろに崇敬する神社の神札を重ねて納めます。

米、塩、酒、水を上げる

神棚には「神饌(しんせん)」米、塩、酒、水を上げます。

四季の初物も神様に喜ばれます。

神饌は毎朝取り替えるのが基本です。

お供えが済んだら、神社にお参りする時と同じように二礼二拍手一礼します。

神棚の種類

神職の家などの神葬祭を行う家には、祖先の霊を祀るための神棚があり、これを御霊舎(みたまや)と言います。

神棚のある家では座敷の鴨居の上部に板棚をつくって神棚として宮形を据えることが多いです。

荒神や稲荷といった系統の違う神を祀る家では、伊勢両宮の神棚とは別の神棚を設けることもあります。

荒神は台所(土間)のかまどの奥の壁に、恵比寿や大黒は勝手の隅に祀られることが多いです。

商家などでは恵比寿・大黒の神棚を設けて破魔矢、熊手、だるまなどの様々な縁起物を飾ることから縁起棚と呼ばれています。

歳徳神の恵方棚のように期間を限って設けられる神棚もあります。

日本各地のお寺は、寺院近在を中心とした檀家と呼ばれる信者を抱え、墓地を保有・管理しているもの(檀那寺)が多いです。

小規模なお寺は神社と異なり檀家以外に門を閉ざしている場合が一般的です。

他国には見られない日本独特の形態で、神道が「死」を忌むという概念(穢れ)の違いから一種の棲み分けが進みました。

大阪府や奈良県、京都府などにある著名なお寺は、信仰や観光の対象として広範囲に参拝客を集めています

参拝の順序

山門に入る前に合掌一礼、手水、賽銭を入れ合掌一礼後に焼香、山門を出る際に本堂に向かって合掌一礼

敷居を踏まない、合掌は胸の前で、手水は一杯の柄杓(ひしゃく)の水で行う、賽銭を投げない、焼香は親指、人差し指、中指で行う、線香を吹いて消さない

春と秋のお彼岸のお墓参り

お墓参り(供養)は、仏教において五供(ごく)をお供えして合掌することが供養の基本となっています。

五供とは、香、花、灯燭、浄水、飲食のことを指します。

お墓参りの正しい作法4ステップ

  1. お墓に着いたら、まずお墓の掃除をします。
  2. お墓に水鉢(水を入れられるくぼみ)がある場合は、綺麗な水をお供えし、持参したお花やお供え物は墓前にお供えします。
  3. ライターで線香に火をつけて、香炉皿にお供えします。
  4. 後片付けをします。

観音像には基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、密教の教義により作られた十一面観音、千手観音など変化(へんげ)観音と呼ばれる様々な形の像があります。

仏像としてよく見かける観音様ですが、たくさんの腕があったり、いくつもの頭部があったりと、仏像によって姿形がかなり異なっています。

あらゆる人を救い人々のあらゆる願いを叶える観点から、多面多臂の姿に表されることが多いです。

阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は現世利益的な信仰が強いと言われています。

聖観音(しょうかんのん)

聖観音・梵名:アーリヤ・アヴァローキテーシュヴァラは六観音の一尊です。

1面2臂の姿で、大慈の観音として六観音の役割では地獄を化益すると言われています。

左手に未開敷の蓮華を胸前に持ち、胸前右手を立てて花びらを開こうとしています。

著名な像として、奈良・薬師寺東院堂の本尊像(奈良時代、国宝)、奈良・不退寺本尊像(重文)、京都・鞍馬寺像(重文)などがあります。

六観音

真言系では聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音と称します。

六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれました。

地獄道 – 聖観音、餓鬼道 – 千手観音、畜生道 – 馬頭観音、修羅道 – 十一面観音、人道 – 准胝観音・不空羂索観音、天道 – 如意輪観音という組み合わせになっています。

スリランカにおける八示現

15世紀のスリランカにおけて図像の作成者によって用いられた図像学についてサンスクリット文献は観音菩薩(ナータ)における以下の示現を記述しています。

1.シヴァ・ナータ、2.ブラフマー・ナータ、3.ヴィシュヌ・ナータ、4.ガウリ・ナータ、5.マティエーンドラ・ナータ、6.バドラ・ナータ、7.バウッダ・ナータ、8.ガナ・ナータ

これらは南インドのヒンドゥー教における「アーガマ」の伝統からの輸入です。

土佐秀信著『仏像図彙(ぶつぞうずい)』天明3年(1783年)刊行所載の三十三観音

楊柳(ようりゅう)、龍頭(りゅうず)、持経(じきょう)、円光(えんこう)、遊戯(ゆげ)、白衣(びゃくえ)、蓮臥(れんが)、滝見(たきみ)、施薬(せやく)、魚籃(ぎょらん)、徳王(とくおう)、水月(すいげつ)、一葉(いちよう)、青頚(しょうけい)、威徳(いとく)、延命(えんめい)、衆宝(しゅうほう)、岩戸(いわと)、能静(のうじょう)、阿耨(あのく)、阿摩提(あまだい)、葉衣(ようえ)、瑠璃(るり)、多羅尊(たらそん)、蛤蜊(こうり、はまぐり)、六時(ろくじ)、普悲(ふひ)、馬郎婦(めろうふ)、合掌(がっしょう)、一如(いちにょ)、不二(ふに)、持蓮(じれん)、灑水(しゃすい)

白衣や多羅尊のようにインド起源のもの、中国や日本で独自に発達したものもあり、起源は様々です。

観音様の種類

聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、不空羂索観音、如意輪観音、水月観音、白衣観音、興亜観音、救世観音、百済観音、夢違観音、九面観音、楊柳観音

観音様を祀るお寺

栃木県:中禅寺、大谷寺、寺山観音寺

東京都:浅草寺、護国寺、品川寺、塩船観音寺

神奈川県:長谷寺、弘明寺、大船観音寺

福井県:羽賀寺、馬居寺

滋賀県:石山寺、向源寺、櫟野寺

京都府:松尾寺、広隆寺、清水寺、三十三間堂、六波羅蜜寺、大雲寺、観音寺、醍醐寺、大報恩寺、鞍馬寺、鹿苑寺(金閣寺)

大阪府:大聖観音寺、四天王寺、観心寺、葛井寺、道明寺

兵庫県:中山寺、神呪寺、斑鳩寺、須磨寺

奈良県:法隆寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺、法華寺、長谷寺、室生寺、東大寺、大安寺、聖林寺、岡寺、不退寺

和歌山県:道成寺、金剛三昧寺、補陀洛山寺

福岡県:観世音寺

東京都台東区浅草2 – 3 – 1

絶対秘仏のご本尊

浅草寺のご本尊は、推古天皇36年(628年)にご示現されたと伝わります。

その後、大化元年(645年)に勝海上人が定めた秘仏の制が掟として守られてきました。

数重に及ぶ厨子に固く錠をかけ、絶対秘仏として取り扱われています。

浅草寺のご本尊は聖観世音菩薩です。

世間の生きとし生けるものの音声を観じ、その苦しみを除かれ、また願いを聴いて安楽を与えてくださる仏様です。

神変自在の働きを主として「観自在菩薩」とも称されまずが、一般的には略して「観音様」と呼ばれます。

観音様は、十一面、千手、如意輪など、いろいろなお姿に変化しますが、聖観音はその基本とされます。

滋賀県大津市石山寺1 – 1 – 1

西国三十三所観音霊場第十三番札所

本尊 如意輪観音菩薩

本尊如意輪観音菩薩は、本堂内陣の厨子の中の秘仏として安置されています。

一尺六寸(5.3m)の高さを持つ像で、右手に蓮華の茎を持ち、左手は膝の上に仰向け、硅灰石の上に坐しています。

安産・福徳・縁結びにご利益があると言われています。

京都府京都市東山区清水1 – 294

慈悲をあらわす、観音様の霊場

清水寺が開創されてから1250年余。

京都・東山連邦の1つ、音羽山の中腹に建つ寺院には、慈悲をあらわす観音様を慕って今も多くの人々が集います。

清水寺の御本尊

清水寺の御本尊は、十一面千手観世音菩薩

この観音様は、十一の表情と四十二の手で大きな慈悲をあらわし、人々を苦難から救うと言われています。

観音様の別名は「あらゆる方角に顔を向けた者」。

そのお姿を33身に変えて救いの手を差しのべると言われています。

「観音」という言葉

「観音」という言葉には、「私とあなた」という意味があります。

観音様は他人の苦しみや喜びを理解し、世の中を平等な心で観ることが、人間の理想のあり方だと教えてくださいます。

「心で自由自在に世の中を観る仏」と言われる観音様は、私たちが普段区別しがちな主観と客観の両方を、大きな視野で偏りなく観ておられます。

四天王寺 南門

四天王寺は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院です。

本尊は救世観音(ぐぜかんのん)です。

日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺で既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗の総本山として独立しました。

庚申堂

四天王寺 庚申堂

庚申堂は南門から南へ100mの境内の外の場所にあります。

朱印

四天王寺 庚申堂の朱印

庚申堂の本尊の青面金剛童子は、当病平癒、無病息災、所願成就の仏として知られています。

お不動さんは、人間界と仏界を隔てる天界の火生三昧(かしょうざんまい)という炎の世界に住んでいる仏様です。

猛々しい威力を示す怒りの表情を浮かべ、右手に剣、左手に羂索(けんさく)を持ちます。

石の台座に座り、火生三昧に入り、火焔を背負っています。

お不動さんは真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。

起源

不動尊の梵名のアチャラは動かない、ナータは守護者で、揺るぎない守護者を意味します。

不動縁日

お不動様の縁日は毎月28日です。

初不動

狸谷山不動院:江戸時代、木食(もくじき)上人が境内の滝の水を青竹に注いで病人に飲ませたところ、病気が回復したという故事があり、年の最初の縁日「初不動」では、輪切りの青竹を杯にした笹酒の接待が行われます。

瀧谷不動明王寺:本堂で終日、開扉大護摩供が行われます。

納め不動

12月28日は一年で最後のお不動さんの縁日で納め不動と呼ばれます。

お札やお守の焚き上げが執り行われ、新たな気分で新年を迎える準備をします。

不動尊を祀る主な日本の寺院

宮城県:松島瑞厳寺五大堂

福島県:大正寺

茨城県:真浄寺

千葉県:成田山新勝寺、弘行寺

東京都:瀧泉寺、薬研堀不動院、金剛寺(高幡不動尊)

埼玉県:總願寺(そうがんじ)、狭山山不動寺

神奈川県:大山寺

長野県:米子瀧山不動寺

愛知県:成田山名古屋別院大聖寺

富山県:日石寺

石川県:倶利迦羅不動寺

福井県:圓照寺

滋賀県:延暦寺、石山寺、西明寺

京都府:狸谷山不動院、教王護国寺(東寺)、同聚院(東福寺塔頭)

奈良県:東大寺旧法華堂、新薬師寺、唐招提寺、長谷寺

大阪府:観心寺、築港高野山、瀧谷不動明王寺、成田山大阪別院明王院

和歌山県:高野山霊宝館、高野山南院、金剛峯寺護摩堂

兵庫県:明王寺、神呪寺

岡山県:由加山蓮台寺

鳥取県:不動院岩谷堂

香川県:成田山聖代寺

佐賀県:密厳山誕生院

熊本県:雁回山長寿寺

沖縄県:安国寺

成田山新勝寺の不動明王は、真言宗の開祖、弘法大師空海が自ら一刀三礼の祈りを込めて敬刻開眼された御本尊です。

右手には心のあらゆる迷いを断ち切る利剣を握っています。

左手には物事を正しい方へ導くための羂索という縄を持っています。

お不動さまがお座りになっている磐石という大きな岩は、頑固な御心を表しています。

お不動さまは、あらゆる障害を焼き尽くす火焔を背負っています。

山門(仁王門)を抜けると、向かって右手に赤門、左手に黒門、観音堂があります。

山門から奥に進むと不動堂に至ります。

不動堂の右手には大日堂(本殿)、客殿があります。

不動堂:屋根は入母屋造りで銅板ふき、お堂の規模は桁行五間、梁間五間です。

大日堂:本尊・不動明王が祀られている本堂です。

所在地

埼玉県加須市不動岡2 – 9 -18

東武伊勢崎線加須駅北口下車徒歩25分(約2㎞)、または朝日バス加須車庫行きバス終点下車。

羯磨曼荼羅(かつままんだら)・立体曼荼羅(りったいまんだら)

密教の教えを視覚的に表した曼荼羅を立体化したものが羯磨曼荼羅です。

曼荼羅には胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅と金剛界(こんごうかい)曼荼羅があります。

曼荼羅を抜け出した、如来、菩薩、明王、天部の21尊の仏像が講堂に安置されています。

大日如来を中心に五智如来(ごちにょらい)、如来に対面して右側に金剛波羅蜜多菩薩(こんごうはらみったぼさつ)を中心にした五大菩薩、左側に不動明王を中心とした五大明王、須弥壇の四方には四天王、梵天(く)、帝釈天が警護するよう配されています。

教王護国寺(東寺)の不動明王

不動明王は忿怒(ふんぬ)の形相、右手に宝剣(ほうけん)、左手に羂索(検索)を握り、真っ赤な火焔(かえん)を背負っています。

不動明王の剣は諸刃です。

本堂泰安座像不動尊

背中に火炎を背負っておられるのは、全身火炎となって衆生の一切の煩悩障難を焼き尽くす、火生三昧(かしょうざんまい)のご精神に住まわれていることを現しています。

不動明王像の両脇には、脇侍(わきじ)として矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制咜迦童子(せいたかどうじ)が配され、三尊としてお祀りされることが多くあります。

大阪府富田林市彼方1762

瀧谷不動駅下車徒歩約15分

仏壇には、金仏壇、唐木仏壇、家具調仏壇などがあります。

宗派ごとに指定された様式で、木製の箱(仏壇)の内部に本尊や脇侍の像・掛軸・供物などに加え、先祖供養のための位牌や過去帳、法名軸などを祀ります。

ご先祖様や故人に対する供養としてお供えをします。

基本的には、ご飯、お水、線香、ろうそく、お花の五供(ごくう)を仏壇にお供えします。

お盆の時期には仏壇の前に精霊棚を設置して飾り付けやお供えを行います。

仏壇は、ご先祖様への感謝の表れであると同時に、今生きる家族の絆ともなるものです。

故人への供養だけでなく、自分を見つめ直したり、感謝の意を伝えたりします。

祖父母

祖父母は親の親にあたる祖父と祖母の総称です。

父方の祖父、父方の祖母、母方の祖父、母方の祖母

養子縁組による、自分の養親の親、自分の親の養親、配偶者の養親の親、配偶者の親の養親なども含まれます。

神社仏閣で授かるお守りは家の北西空間(10月~11月、19:00~23:00)に配置します。

家の北西空間は、神棚、仏壇、お守り、賞状、グリーン色、ゴールド色、オレンジ色、ベージュ色と相性が良い空間です。

神社仏閣の集印(しゅういん)

吉方位旅行先の神社仏閣の集印(しゅういん)

集印は、複数の朱印の印影を集めることです。

朱印(しゅいん)は、日本の寺院や神社において、参拝者向けに押印される印章およびその印影です。

朱印を押印し集印するための御朱印帳(ごしゅいんちょう)は、寺社、神仏具店、文房具店、書店などで販売されています。

御朱印帳には、屛風折り(折り本)にして両面に固い表紙をつけた形式のものと、和綴じ(和装本)のものがあります。